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自動車保険配布スキンパーツ1 太平洋海戦史・・・序文を転載しました

昨日コネタにした『失敗の本質』の公式解説本。

内容を掻い摘むと、戦略とリーダーシップの重要性を、旧日本軍ならびに、まさに今苦境に立たされている日本企業の事例から、問いかけています。

改めて、目次を眺めてみると、

  序 章 日本は「最大の失敗」から本当に学んだのか?
  第1章 なぜ「戦略」が曖昧なのか?
  第2章 なぜ、「日本的思考」は変化に対応できないのか?
  第3章 なぜ、「イノベーション」が生まれないのか?
  第4章 なぜ「型の伝承」を優先してしまうのか?
  第5章 なぜ、「現場」を上手に活用できないのか?
  第6章 なぜ「真のリーダーシップ」が存在しないのか?
  第7章 なぜ「集団の空気」に支配されるのか?
  おわりに──新しい時代の転換点を乗り越えるために

というのに、そのまんまですね。

  戦略とは、「目標達成につながる勝利」を選ぶこと

  戦略の失敗は戦術で補うことは出来ない

  戦略とは「追いかける指標」のことであり、に変化する(変化させるべき→ゲームのルール変更)ものである

  リーダーとは、「新たな指標」を見抜き、組織に「最善の結果」を導く人物

  戦略を理解しないリーダーは変化できない

  卓越したリーダーは、組織全体が持っている可能性を無限に引き出し活用する

  優れたリーダーは「勝利の条件」に最大の注意を払う

この解説本でも一部紹介されていますが、日本海軍高木惣吉少将が、戦後まもない昭和24年に岩波新書から出版された『太平洋海戦史』の中で語る、日本軍の敗因を、我々全国民が戒めて受けとめないといけませんね。

今朝カキコしている間、偶然見つけた『ちょっとした話』さんのサイトから転載させていただきます。少し長くなりますが、非常に的を射ているのではないでしょうか。

太平洋海戦史・・・序文を転載しました_d0004717_6582974.jpg


<高木少将「太平洋海戦史」序 よりの抜き書き>

従来 我が国の戦史は、余りに美挙に満ち、名将勇士に溢れ、
錯誤、怯懦、紛糾、特に見通しの失錯(しっさく)など、
凡そ翳をおとす要素は捨象されるか、稀釈されるのが通例であって、
我々を荼毒(とどく)したその弊害は、
以下に声を大にしてもすぎることはないと思う。

太平洋戦争を通して痛感されるところは、
戦争指導の最高責任の衝に立った 政治家、軍人達の
無為、無策であり、無感覚であったことである。

それは、彼らが、知識に乏しく、勇気を欠いたという意味では決してない。
また、彼らが悉く 平和と人道の叛逆者であった という意味でもない。

ただ、彼らの技術なり、知識なり、勇気なりが、
大は 国策の指導から、
小は 一作戦の遂行に対して、
有利な決定的効果をもたらした例は 殆ど見当たらず、

むしろ、その強情、軽率、油断 及び 怯懦 が 災害を招いた実例は、
山ほど上げることができるであろう。

殊に、その構想力の欠乏、政治的ヴァイタリティーの絶無であったことは、
唯 浩歎の他はないのである。

また、幕僚なり 下級指揮官に 顕著な事実は、彼らの精神的動脈硬化であって、

大本営の情勢判断が、如何に独断的で、客観性を欠き、
その計画や編制が、猫の眼の如く変わったかは、
読者を 唖然たらしめるであろう。

新しい認識、処置の変化に対する 適応性の喪失は、
個人的 もしくは 職業的体験以外には、
如何なる「アンチテーゼ」をも超克しようとしなかった。
所謂 実際家ほど その症状は 絶望的であった。

組織と教育の反芻による 自己満足、植民地戦の特殊経験を規範視した余弊が、
わが太平洋戦争ほど 恐るべき悲劇を招いた史例は、少ないであろう。

第一次大戦以後、
現代戦争の総力戦となったことは、広く論じ尽くされ、
指揮官の地位が高まり、その責任が広範となるにつれて、

純軍事問題と共に
政治、経済、社会等 各般の諸問題に対する理解と知識が必要であって、
動員、戦備、作戦が、直ちに 国民生活を 根底から揺り動かし、

しかも
その国民の生産活動によって 戦力が消長する 相互媒介的なものであることも、
広く承認されていたことである。

しかるに、
事実の示すところは、
これらの世界的定説に、陸海軍人が、殆ど耳を藉していなかったことである。

彼らは、
思索せず、読書せず、
上級者となるに従って 反駁する人もなく、批判を受ける機会もなく、
式場のご神体となり、権威の偶像となって、温室の裡に保護された。

長き平和時代には、
上官の一言一句は 何らの抵抗を受けず実現しても、
一旦戦場となれば、
敵軍の意思は、最後の段階まで 実力を以て 抗争することになるのである。

政治家が 政権を争い、
実業家が 同業者と勝敗を競うような 闘争的訓練は、
(陸海軍の将官・指導者は)全然与えられていなかった。

(陸海軍の将官・指導者は)
服従の法規に縛られた 自己の部下 に対して命令する
  「戦務(ロヂスティック)は心得ていたが、
国内における反対勢力の説伏や、
対抗する敵軍隊に対する 強靱なる闘争意欲に関しては、
何らの思想と訓練 を 具備していなかった。

誤って 国内の反対意見に敵意を突きつけ、
しかも
外敵に対しては 彼ら自身の工夫と行動とによらず、
望ましき結果を 天来の偶然に期待して 晏如たるものであったのである。

陸海軍共に、専門的知識と技術とを 最高度に必要としたものは、
決して 大臣、総長、又は長官ではなく、
むしろ 艦長、連隊長以下の下級者であった。

しかるに、
我が国の制度は、
少なくとも30年以上経過して 初めて
権威の偶像となる資格が得られたのであったから、

指揮官は、
社会的知能の不具者であり、
同時に
軍事的知識の時代遅れ でなければならなかった。

かくて
主将のロボット化は、特に陸軍で著しい現象であったが、
指揮官の意志が 艦隊の行動に影響を及ぼすことが多かった海軍は、
結果的には より悲劇的であったとも言えるであろう。

由来
軍部の統帥と人事に対する批判は、永く禁忌(タブー)として神聖視された。

特に 海軍人事の如きは、
系数の多少による順位、機械的公平主義、経歴による無批判の栄転主義は、
その極まるところ
サマール島沖の敗将(レイテ沖海戦 栗田中将)を 兵学校長に据えるに至った。
(昭和19年1月15日 海軍兵学校長に就任)

しかも、
幾多人事の不当による責任は、未だ嘗って 糾明された前例がなく、
戦局の変転に従って
遂には 敗戦の責任を問うことすらできないようになったのである。

ミッドウエーの敗戦、ガダルカナル島 及び トラック基地の油断等、
何人の眼にも 昭々たる事件につき 遂に何らの措置が執られなかった。

リッデル・ハートは、その世界大戦史の序文において、
曾っては、最良の将は、過誤を犯すこと最も少なきものであったが、
今や 最小の過誤を冒すものこそ 最良の将であると述べたのであるが、

わが太平洋戦争中にあっては、
実戦によって見出された 指揮官の異常な能力よりも、
士官名簿の順位の方が 遙かに重大な要素であって、

たとえ
ネルソンであり、ナポレオンであったとしても、
彼らの年歯では 決して 戦略問題に容喙する地位に 就けなかったであろう。

ここにおいて 我が国は、
「過誤を冒す能力さえなきものが、最良の将」という現象を呈したのである。

「一人何人かを傷つけるだけで 他に貢献するところのないものは、
 真実といえども 語るべきではない」という
パスカルの遺訓は 十分心の留めたが、

由来
この国は 当事者が、単に 故人であることのみの理由によって
その業績の記録 並びに 批判を 斟酌すべきものとされている。

しかし、
「歴史的思考とは、事実を事実の論理において 考えることであって、
過去と現在との 相反する両極的統一である。(マイネッケ)」

曾って、
ローマ民族も多くの破壊と残虐とを犯したのであるが、
また 人類の歩みに貢献した その創造と繁栄とは、
彼らの過誤と切り離してこれを正しく理解することは許されないのではあるまいか。

数知れぬ 我々の同胞が、悲運の歳月と共に 貽した毀誉まちまちの業績は、
もし その真実の記録が 後人の省察と批判に資することができるならば、
倶に それぞれの歴史的価値を持つことになるのではなかろうか。

  出所 高木惣吉「太平洋海戦史」序(ⅶ㌻~ⅹⅱ㌻)



読んでいるだけで、どうにもやりきれない気持ちに苛まれてしまいますが、自身を振り返っても、似たようなことをたくさんしでかしていたような・・・

はい、知ってしまったら(読んでしまったら)、行動しか有りませんね。

『中部経営塾』スタートまで、あと3日。

そんな意味でも、今回の解説本を手に取ったことに、必然性を感じます。

もちろん、与えられた役割をしっかりやりきりながら!

本日も、明るく楽しく元気よく、顔晴っていきましょう!

ではでは。

by cherrylayla | 2012-04-17 06:56

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