2011年 11月 23日
人を恨む行為は、限られた人生をつまらなくする。
被害者家族の何も解決していないという話も報道されたり、そもそも事件の目的が今だ解明されていない印象を受けたりと、法律的には落ち着いても、国民感情、特に関係者にとっては、まだまだ終わっていないというところなのでしょう。
一方で、サリンで愛妻を亡くし、自身も冤罪被害者として名誉を著しく傷つけられてしまった河野義行さんは、早い段階から違った言動・行動をとられてきました。
一昨日の中日新聞の一面でも写真付きで大きく扱われ、
現行法では合法で正義だが、個人的には、どの命もかけがえがなく、冤罪防止のためにも死刑制度は廃止すべきだと考えている
マスコミが警察からの非公式情報を基に、危うい橋を渡るシステムは当時と変わっていない
事件前に戻ることはできない。ならば死刑囚らを恨み続けるような人生の無駄はせず、残された者として楽しく生きる
という内容の発言が紹介されていました。
この差は一体どこから来るのでしょうか?
記事によると、河野さんは、サリン噴霧車の製造に関わり、懲役10年で服役した元信者と、一緒に温泉に行ったり、釣りを楽しむ友達としてお付き合いされているそうです。
そんな話を朝食時の話題にしたところ、ママさんから、頭オカシイ人なんじゃないの?と一蹴されてしまいましたが(汗)、正直ちぇりーさんも、戸惑うところが大きいです。
自分が同じ立場なら(絶対嫌ですが)、そんな行動ができるのか。いや、それは人間として正しい行動なのか。
気になって、以前、致知で紹介されていたことを思い出し、記事を探してみました。
2006年8月号 特集 悲しみの底に光るもの
記事では、冤罪との壮絶な戦い(警察<国家権力>、マスコミ、病院、世間・・・)について、ご本人ならではの語り口で紹介されていました。
それを踏まえても、締めくくりはこんな展開です。
私はよく、「あなたはなぜオウムを憎まないのですか」と聞かれます。
人生は有限です。人を恨むという行為は、その限られた人生を実につまらないものにしてしまうと私は思うのです。恨んで、恨んで、自分の時間、すなわち自分の命を削っていくような人生を、私は送りたいとは思いません。恨むことに費やすエネルギーがあるのなら、逆に妻が生きていてくれたことに感謝するほうに注いでいきたい。
愛する奥様は、この記事の2年後に鬼籍に入られ、奥様の三回忌と自身が還暦を迎えた昨年、人生をリセットしようと鹿児島に移住されたそうです。
ちぇりーさん、河野さんのお話は頭では分からないでもないですが、ここに感情が入ってしまうとコントロールできる自信がありません。
ちなみに、河野さんの人生のテーマは、『いかに心地よく死ぬか』なんだそうです。
致知カレンダーにも本日23日は、河野さんの言葉が紹介されています。
人を恨む行為は、限られた人生をつまらなくする。
ちぇりーさん、分かる範囲で活かしていくしかないですね。
そして、本日は皇太子様が務められる新嘗祭。
この件については、いろんな意見があるようですが、名代としてしっかり務めていただくことで、国の繁栄につながってほしい。
素直にそう感じています。
はい、本日も限られた人生の一日を有意義に!
ではでは。
by cherrylayla | 2011-11-23 04:28