2007年 09月 18日
大阿闍梨
そんな暑い中、午前中は市内の私立中学の文化祭を見学。
書道や絵画等、中学生にしてはなかなか本格的な作品が展示され、感心しました。
午後は、娘の習い事の送迎の合間を縫ってお墓まいり。
少し汚れが目立っていたので、掃除をしたのですが、汗だくになってしまいましたね。
今度の週末はお彼岸ですので、それまでに暑さも落ち着いてくれるとよいのですが。
さてさて、世の中には凄い人がいるものですが、この人は人ではありません。
いや、人には不可能と思われることを成し遂げた方です。
慈眼寺住職・塩沼亮潤さん。
致知6月号でその存在を初めて知ったちぇりーさん。
今回タイミングが良いことに、師匠の実践塾が午前中で終わるという土曜日の午後からの講演会に参加することが出来ました。
しかも会場は同じ新宿副都心。
あまりにも良すぎるタイミングに、案内をいただいた時、必然性を感じました。
この塩沼さんは、修験道の中でも最も過酷な行の一つといわれる『大峯千日回峰行』を満行された『大阿闍梨』様なんです。
一日48キロの険しい山道を16時間かけて、吉野の大峯山の頂上まで登り帰ってくるというだけでも気が遠くなりそうですが、これを山が開く120日間一日も休まず、9年間に渡って続ける行なんです。
しかも行の期間中にたった一日でも、例え足が骨折したとしても、40度の熱があっても、休むことは許されないのです。
万一、行けない日があったら、行が失敗したと見なされ、所持している短刀で割腹するか、腰に付いている紐で首をくくらなければいけないという、厳しい掟があるそうなんです。(ほんまかいな・・・警察はどういう処理をするのでしょうか?・・・素朴な疑問・・・)
更に強烈なのが、その想像を絶する『大峯千日回峰行』を満行された翌年には、『四無行』という9日間にわたる断食・断水・不眠・不臥という、過酷な行も満行されました。
何でそこまでと思われるでしょうが、この『千日回峰行』と『四無行』はセット販売?になっているとのこと。
一体、誰が考えたのでしょうか。
ちなみに、このセットを満行されたのは、修験道・金峯山寺の1300年に及ぶ長い歴史の中で、塩沼さんが二人目とのこと。
やはり人じゃありませんよね。
実物の塩沼さんは、それはそれは優しいお顔と声を持った、人にとてもよく似た(苦笑)お方でした。
愚問と思われる質問にもとても丁寧に応対され、そのなんとも言えない優しさで会場全体を包み込んでいただけました。
塩沼さんが、行をされているとき、また満行された以降も、常に感じていたのが、感謝ということなんだそうです。
日頃から、感謝の念が不足気味のちぇりーさん、塩沼さんの講演を聴くことになった巡りあわせには、やはり必然性があったんだと、会場内で納得しておりました。
生きるのではなく、生かされている
善なる功徳を積み重ねること
行くか行かぬではなく、行くしかない
例えどんなに苦しいことでも、過ぎてしまえば良い思い出として感謝・・・苦しんで花開く
全てのご縁に感謝して、全てのことを受け入れる
今が一番幸せだと思って生きること
名古屋に帰ってから、早速致知6月号を取り出し、読み返してみました。
読めば読むほど伝わってくるその凄み。
講演内容同様、誌面でもやはり感謝がキーワードでしたね。
悪い出会いに感謝できないのは、その出会いを受け止めるだけの心の器がないから
先週は宰相の器についての話題が注目を浴びましたが、器は大きく拡げるものと信じ、感謝の心でTOPの器を拡げ、そして磨き続けていかねば。
そんなことを強く感じる、週末のちぇりーさんでした。
今週も感謝の心で前進ですね。
ではでは。
by cherrylayla | 2007-09-18 06:51