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自動車保険配布スキンパーツ1 今日の芸術

おかげさまで、台風の進路が東に逸れたため、昨日は大きな混乱もなく過ごすことが出来ました。

しかしながら、三河から関東・東北にかけて大きな被害が出ているようですから、改めて自然の猛威を思い知らされたという感じですね。
☆もういい加減、分かりましたから、勘弁して欲しいというところが本音ですが・・・

今朝は、台風一過、名古屋エリアは爽やかな風が心地よく感じられます。

暑さ寒さも彼岸までとはよくいったもので、ホントに涼しいですね。

お彼岸といえば、明日は秋分。

今年もいよいよ後半戦ですね。

そんな季節の変わり目、先週読了した1冊。

いやいや強烈な本でした。

連続してコネタにした岡本太郎さん。

その興味を持つきっかけとなった世界タイル博物館のミュージアムショップで買い求めた文庫本ですが、ヤバイですね。

こんなにパワーが満ち溢れた書籍も久しぶりです。

  『今日の芸術』 岡本太郎著 光文社智恵の森文庫

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  すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、そのよろこびが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。<p16>

  失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。<p21>

  芸術は生活に物理的といえるほど強大な力と変化をあたえるのです。知らないあいだに、すべてのものの見方、人生観、生活感情が根底から引っくりかえり、今まで、常識や型にしたがって疑いもしなかった周囲が、突然なまなましく新鮮な光にかがやきはじめます。<p37>

  芸術には教えるとか、教わるとかいうようなことはなにひとつないのです。ただ、、私はこの本をつうじて、あなた自身の奥底にひそんでいて、自分で気づかないでいる、芸術にたいする実力をひきだしてあげたい。それがこの本の目的なのです。<p44>

  ほんとうの芸術は、時代の要求にマッチした流行の要素をもっていると同時に、じつは流行の外に出るものです。・・・・・・ほんとうの芸術家はつねに批判的です。・・・・・・だれもがそうしなかった時期に、新しいものを創造していくからこそ、アヴァンギャルドなのです。・・・・・・ほんとうの新しいものは、そういうふうに新しいものとさえ思われないものであり、たやすく許されないような表現のなかにこそ、ほんとうの新鮮さがあるのです。・・・・・・どんな人間の精神のなかにも、・・・・・・生活の安易な楽しい愉楽を・・・・・・求めるという面と、やはりそれでは満足しないという気持ちが、どんな安逸な考えをもっている人にも、心の奥底にはあるものです。<p91-93>

  今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。<p98>

  ・・・・・・きれいさというものは、自分の精神で発見するものではなく、その時代の典型、約束ごとによってきめられた型だからです。<p110>

  あなたはそこにある画布、目に映っている対象を見ていると思いながら、じつはあなたの見たいとのぞんでいるものを、心の中にみつめているのではないでしょうか。・・・・・・それは、見る人数だけ無数の作品となって、それぞれの心の中で描き上げられたことになります。<p116-117>

  すぐれた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生きがいとなり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を創造しているのです。<p119>

  ほんとうの自分の力だけで創造する、つまり、できあいのものにたよるのではなく、引き出してこなければならないものは、じつは、自分自身の精神そのものなのです。そこが芸術の根本なのですが、そういうもっともな本質的なことになると、とたんにハタと行きづまってしまって、絵が描けなくなるというのはどういうことなのでしょう。・・・・・・描けないというのは、描けないと思っているからにすぎないのです。・・・・・・うまかったり、まずかったり、きれいだったり、きたなかったりする、ということに対して、絶対にうぬぼれたり、また恥じたりすることはありません。・・・・・・見栄や世間体で自分をそのままに出すということをはばかり、自分にない、べつな面ばかりを外に見せているという偽善的な習慣こそ、非本質的です。自分をじっさいそうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること(よくある手で、古い日本の社会では賢明な世渡りの術とされてきたのです。)、そこから、自他ともに堕落する不明朗な雰囲気ができてくるのです。<p163-164>

  思いきって、のびのびと踏みだしてごらんなさい。そして人間的な自由とはなんであるか、その喜びをみずから発見すべきです。それは新しい生活への自信となって、明朗にあなたをささえるでしょう。<p172-173>

  くりかえして言いますが、うまい絵にいい点をつけ、それをほめあげてはぜったいにいけないのです。<p180>

  これからの人間は、はじめからもっと純粋で、高度な土台から出発すべきで、そのほうが、人間的にも社会的にも強く、正しく、はるかに明朗な自由をつかみとることができると思います。<p193>

  芸術は創造です。これは、けっして既成の型を写したり、同じことをくり返してならないものです。・・・・・・ところが芸ごとはどうでしょうか。これは芸術とは正反対です。つねに古い型を受けつぎ、それをみがきにみがいて達するものなのです。・・・・・・ところが、じっさいには、この本質的な違いがあんがいに理解されていないのです。<p206-207>

  十八世紀ごろまでは、絵かきは芸術家ではなかった。家具屋や大工や職工と同じように画工、つまり職人だったのです。・・・・・・つまりこういう大工さんは腕はみがいてある、技能は持っているけれども、新しい建築に応じる技術はないのです。・・・・・・芸術のばあいは、ちがいます。技能は必要ないのです。無経験の素人でも、感覚とたくましい精神があれば、いつでも芸術家になれる・・・・・・<p214-222>

  したがって、この国の文化には責任の所在がどこにもない。奇妙なことです。戦争ちゅう、悲壮なおももちで、聖戦を一手にひきうけたような勇ましさだった文化人が、終戦、とたんに、まるではじめから戦争反対者だったようなことを言う。<p234>

  おのれ自身にたいしては逆に残酷に批判的で、つまり謙虚でなければならないのです。日本ではどうもこれをとり違えて、謙虚というのは他人にたいしての身だしなみくらいに思っている。・・・・・・自分を積極的に主張することが、じつは自分を捨ててさらに大きなものに賭けることになるのです。だから猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めてゆくべきです。<p236>

  1953年、パリとニューヨークで個展をひらきました。出発するまえ、私はある場所で講演をしたのですが、いろいろ話をしたあとで、聴衆の一人から、「こんどあちらへ行かれて、何を得てこられるのでしょうか?」という質問が出ました。「いや、こちらが与えにゆくんです」と、私が返事をしたら、満場がドッと笑いました。私はきわめてマジメに言ったのに、意外にも大笑いされて腹立たしくなりました。<p240>


長々と転載を続けてしまい恐縮です。

1954年に出版された本ですが、古さは全く感じさせない、もの凄いパワーに溢れた1冊です。

惜しむらくは、もっと早く読んでおけばよかった。

いや、このタイミングが必然なのでしょう!

岡本太郎さんの著作から転載しただけのようなカキコですが、ちぇりーさんの稚拙な表現は不要でしょう!
☆意味のない謙虚さではなく、確信をもってそう感じます。

文章表現能力も爆発してますね♪

よく経営はアートだ、なんてフレーズを耳にしたりしますが、世間一般の皆様からは、狂人と見られるくらいでないと、経営者として成功しないのかもしれない。そんなことを改めて痛感させられるパワーのある1冊でした。

う~ん、今年のベスト(50年以上前の本ですが・・・汗)かもしれない・・・まだ早いですし、ちょっと熱に浮かされているかも・・・

未読の方は、是非取り寄せて手にとってみてください!

そして、ご縁に感謝!

ではでは。

by cherrylayla | 2011-09-22 06:24

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